80年代プロレスを中心に、プロレスを気ままに語る、柴犬好きのブログ

自分が観戦したプロレス興行や、プロレスについて思うことがあるときに、気ままに書きたいことを書いてます。

後藤達俊対馳浩 新日本プロレス1990年6月12日福岡国際センター

1990年6月12日新日本プロレス福岡国際センター大会。

この日は後藤達俊のバックドロップで側頭部を打った馳浩が、試合後に倒れて一時心臓停止した日。ひな壇席に座って観戦してたけど、そのことには気がつかなかった。

その後に行われた長州力アニマル浜口。復帰したアニマル浜口が盟友であった長州力を奮い立たせる為の対戦だったが、意外にもあっさり終わったなと会場で観戦しながら思ってた。

まさか馳浩が倒れたとは知らなかったから。

長州力にしてみたら、馳浩のことが気がかりで試合どころではなかっただろうな。

 

新日本プロレスに限らず、昔のプロレス興行はひな壇席が設営されてる時とされてない時があって、設営がない時は見にくかったなあ。

あらかじめひな壇席の設置が予定されている時は、興行ポスターに、ひな壇席設置って印刷してあったり、追加で紙を貼り付けたりしてた。

2000年代、新日本プロレスが暗黒の時代に入るとひな壇席の設置が必要ない時期もあった。何しろひな壇を作るほど座席数が無くて、特リンが7列目ぐらいまで、あとはリングサイド席が12列目ぐらいまでで終わり、会場後方が広々というかガラーンとしていて客入りもまばらな時期があった。

そんな時期にめげずに、俺が一番後ろまで座席をいっぱいにしますよと言って努力し続けたのは棚橋弘至。実際そうなったし、その努力はすごいと思う。ユークス時代を経て、その土台の上にブシロード体制があり、レインメーカーの活躍がある。