80年代プロレスを中心に、プロレスを気ままに語る、柴犬好きのブログ

自分が観戦したプロレス興行や、プロレスについて思うことがあるときに、気ままに書きたいことを書いてます。

リバプールの風 欧州遠征

1988年の冬と1989年の夏はイギリスに渡った。叔父や親戚を訪ねる旅だったけど、もうひとつの目的は船木優治、山田恵一の欧州遠征の足跡を訪ねること。当時、週刊ファイトに掲載されていた記事をもとに、リバプールに行き、船木、山田が立っていた場所と同じ場所まで行き写真撮影。ビートルズショップ。そして船木がかつてオーストリアのウィーンで試合をしていたことも知っていたので、その場所にも行ってみようと思い立ちイギリスからオーストリア・ウィーンに行き、宿を手配して、フロントでプロレスをやってる場所はどこかを尋ねて、歩いて会場まで行った。宿はオペラ座の近くだった。偶然にもトーナメントが開催中。

会場にはオットー・ワンツやトニー・セントクレアーズ、ジ・アバランチャ、そして遠征中の蝶野正洋選手が居た。トニー・セントクレアーにはヒロ斎藤とのWWFジュニアタイトルマッチは良かったと話しかけたらとても喜んでくれて色んな話ができた。ジ・アバランチャは、キャノンボールグリズリーというリングネームで出場していたので、アバランャ!と声をかけると、日本から来たのか?と、にこやかに話してくれた。

欧州のプロレスはひとつの場所に一ヶ月程度とどまり、それぞれキャンピングカーなどで寝泊まりする。会場のすみにもキャンピングカーが何台も泊まっていた。レスラーとも気軽に話ができる環境だった。そんな中、蝶野正洋選手だけは、日本人を見かけてもあえて話しかけてこなかったところにプロ意識を感じた。

後年、蝶野正洋さん本人に、ウィーンで会ったんですよ。どうして話しかけなかったんですかと聞きたら、覚えてないけど、たぶんチャイニーズだと思ったんだと思う。当時は日本人が周りにいなくて人恋しかったから、日本人だとわかっていれば話したと思うよ、と言われた^^;

話しかければよかったな。でもなんとなく話しかけるなオーラが出てたんだよね。一人寂しく過ごすオーストリア遠征、海外武者修行中でもそのスタイルを貫いていた蝶野正洋選手はやはり本物のプロレスラーだと思う。

蝶野正洋選手のオーストリア・ウィーンでの武者修行を生で観戦した日本人は俺ぐらいなんじゃないかな。

ウィーンに滞在した二日間は夕食に中華料理店に行ったんだけど、二階のテラス席がある店で、テラスで外の街並み見ながら、おいしい中華料理を食べた。二日続けて行ったから二日目は、あら?また来たのー?って感じで店員さんから歓迎されたのを覚えてる(苦笑)

帰りはフランス経由でイギリスに戻ったけど、フランスではプロレスやってなかった^^;

 

イギリスでも、ロンドンのロイヤルアルバートホールに行きたかったんだけど行く機会がなかった。前田日明ウェイン・ブリッジからヨーロッパヘビー級ベルトを奪取したとされる会場。実際にはそのタイトルマッチはなかったんだろうけど。

ヨーロッパヘビー級のチャンピオンベルト、クラッシックでかっこよかったな。結局、83ねんのか凱旋マッチの時にしか腰に巻いてなかったけど。

IWGPにヨーロッパ代表として前田日明が凱旋帰国した時は期待が膨らんだなぁ。

 

ちょうどこの頃から格安航空とか出始めだんだよね。航空券はまだとても小さな会社だったHISに買いに行ったなあ。天神の近くの雑居ビルみたいなところで階段しかなかった。時の流れを感じるね。